大学院入学式の記念写真は必要か

こんにちは。社会人経験を経て、脱サラして大学院に入ったものです。

今日は大学院の入学式でした。
雨にも関わらず、「平成三十年〇〇大学大学院入学式」という立て看板の前には記念写真を撮影するための行列が。
というか、会場側(大学側?)が、わざわざ警備員の誘導までつけて、写真撮影用の列を意図的に作ってるし。

この記念写真ってどうなんでしょうか。
式典って、要するにセレモニーであって、身体性の場だというのが私の基本的考えなので、写真というメディアに残すことに少し違和感がありました。

そんな中父親からメールが。

「晴れての〇〇大、おめでとう。
今到着しましたが、クルマか家にスマホを忘れてきました。
写真が撮れないので、たくさん撮っておいてください。
紙焼きして、親族に見せたり、私の墓に供えてもらいますから。永遠の証拠が必要です」


う~ん。。

まず、この年齢になって入学式に親が来るというのは私として恥ずかしいので来てほしくないというのが私の想いなのですが、
とはいえそれは(アドラー的に言えば)私の側の課題であって、父親が来たいと思うのなら、それを拒むことはしたくないと思って、会場や時間は情報共有しておいたのです。

で、雨の中来てくれたことはありがたいと思いましたが、
永遠の証拠が必要だから写真を撮っておいてほしい、というのはどうなんでしょうか。
価値観の違いといえばそれまでですし、父親も兄ももっと言えば私も、この大学には不合格をもらい続けていて、全員現役と浪人合わせて6回学部の不合格をもらっていて、今回、「大学院の方」に入ることができたので、父親としてはそれこそ人生を報いるような出来事なのでしょう。

そのことを差し引いてもなお、入学したことの証明として入学式の写真が必要ということに違和感を感じました。

というのも、学部ならまだしも、大学院においては特に、「入学したこと」にはたいした価値はなく、「その環境を生かして、立派な研究者もしくは知的人材になり、人類社会に貢献すること」に価値があるからです。

むしろ、入学したことを永遠に証拠として大事にしなければいけない人って、途中で挫折した人とか、なんとか修士論文は提出できたものの博士に進学しても見込みがないから上にあげてもらえなかった人とか、そういう人だと思います。


私はそのことに思い当たって、今日は写真は撮らず、論文や書籍を世に出せたときや、せめて学位授与式のときに写真をとって親族に報告しようと思いました。

このあたりのことをどれだけ父親に説明しても、理解をしてもらえることはありませんし、父親に限らず、世代が上になればなるほど、この認識のズレがあるように思います。

いま社会人で、大学院に行くことを検討されている方は、是非とも、入学することが目的ではなく、その後の活躍を目的としていただきたいと思います。